ベースとなっている理論

プロフィール詳細の通り、私は、CD小売店チェーン(入社時日本2位の規模)で、机上研修・店舗実務を通して、店舗運営やチェーンオペレーションを学びました。
 そこには独自の体系的なテキストがあり、この世界で巨匠といえる、船井幸雄先生と渥美俊一先生のいいとこ取りの理論が構築されていました。実際「教科書ではこうだけど、ほんとはね・・・」的なことはほとんどなく、理論を、ストレートに実務に反映できる環境にあったことは、幸せだったと思っています。
 もちろん本稿は、そのテキストの要約でも焼きなおしでもなく、むしろ、現場の会話の中で頭を整理していった内容が、ほとんどです。汎用性の低い部分はカットして、独自の切り口と、独自の論理の組み立てで構築しています。

 
 

 CDという「商品」としての側面と「作品」としての側面の両方を持ったものを扱う、専門店チェーンで働いていて、「仕組み」を追求する、マネジメント志向の店員と、音楽作品としての質にこだわり「匠」を目指す、職人志向の店員との二通りのタイプの店員がいることに気づきました。
 この2者は、お互いに相手を軽視しがちですが、互いに補いつつ、バランスよく店舗を運営してゆく必要があると思います。ただ、このサイトは、どちらかといえば前者よりに傾きがちです。が、売れさえすればよい。売れる商品=よい商品だ、という価値判断をする気はありません。

 

 買い物をされるお客様に、本当にこれは買ってよかった。といわれ、払った金額にふさわしい、もしくはそれ以上の満足を得ていただければ、売る側として幸せです。そして、そういう商品との出会いをコーディネートしてゆくことが、商業界の役割だと思います。メーカーにできない「品揃え」を担っている自負心があるだけに、商業不要論(間に入っていらぬコストを取っているとか)に遭遇すると、悲しくなります。
 そして、商業界の担う役割を、ローコストで実現し、普通の人が、普通の努力で、豊かな生活を送る、お手伝いをすることが、チェーン店の役割だと思っています。

 

「標準化」に対する誤解

「標準化」には、上記の職人肌の人を中心に、根強い誤解があるように思います。どうも、「画一性」を連想させて、それが「非人間性」のイメージにつながってしまっているようです。
 でも、標準化は、パターン化できるものはパターン化して、無駄を省くというだけのことで、例えば、まる一日かかっていた集計作業が、エクセルを使えば、30分で終わるというのと同じです。そこにネガティブなイメージを、わざわざ結びつける必要はないと思います。

 むしろ「ローコスト」=「標準化」と言ってしまっても、いいくらいだと思います。ローコストを掲げながら、標準化を否定するのは、作業量を減らさずに経費(主に人件費)を削るわけですから、いわゆる「サービス残業」の原因ではないのか、とさえ思います。

 もちろん、判で押したように、すべて同じ店にしろと言っているわけではありません。地域特性に合わせることは、当然必要ですし、店長ならではの味を出すことを否定するものではありません。しかし、業務トータルで見渡すと、パターン化できる比率の方が多いので、そこは効率よくすべきです。標準化で片付くことはさっさと片付けて、クリエイティブな部分に、エネルギーを回すべきでしょう。